特別対談

古屋隆之様にお話をお聞きしました。

藤平信一 心身統一合氣道会 会長

東京工業大学 生命理工学部 卒業
慶應義塾大学 非常勤講師・特選塾員
幼少から藤平光一(合氣道十段)より指導を受け、心身統一合氣道を身に付ける。心身統一合氣道の継承者として、国内外で心身統一合氣道を指導・普及している。

古屋隆之 様

青山からす亭 店主


心身統一合氣道会の本部道場(一番町)から徒歩5分程の場所に洋食レストランの「青山からす亭」(麹町)はあります。明治時代、新橋の「カラス亭」という西洋料理のお店で修行したお祖父様が1931年に開業した「お座敷洋食からす亭」(赤坂)。お父様が開業した「青山からす亭」(南青山)。そして本日の対談相手である古屋隆之様が三代目の現店主で、2015年から心身統一合氣道を学んでおられます。

道場で学ぶことが身に付いていることと繋がる

藤平信一会長(以下、藤平):古屋さんは、経営コンサルタントの青井博幸さんのご紹介で道場にお越しになったのでしたね。

古屋隆之様(以下、古屋):はい。たまたま家内が藤平光一先生のご著書の『氣の威力』を買って、置いてあったのを読んでいました。店に王貞治さんに頂いたサインを飾っているのですが、ある時、それをご覧になったお客様が心身統一合氣道会をご存知で、本部道場が近所に引っ越してきたことを教えて下さいました。そして、共通の知人で以前からのお客様だった青井さんにお願いしてご縁を頂き、今日に至っています。

藤平:王貞治さんとのご縁はいつ頃からですか。

古屋:実は僕は野球少年で小学校3~4年の頃、王さんが祖父のお座敷にお越しになった際に頂いたサインを飾っていました。

藤平:お祖父様のお店のお客様だったのですね。

古屋:はい。それで僕は王先輩に憧れて、早稲田実業でユニフォームを着て中等部、高等部と野球をやりました。調理学校も行かず、大学を出た時も何も考えていなかったのですが、知らないうちに導かれてコックになっていました。

藤平:お祖父様の時代はどの様なお店だったのですか。

古屋:それは綺麗な芸者衆が多く来るお店でした。出前も宴会もやる洋食店でとにかく忙しく、長女だった母親もなかなか自分の相手をしてくれず、外でキャッチボールなどして、店の若い衆に子守をして頂きました。本当に忙しくなると邪魔になるので、姉と二人、パンの耳を持たされて、ソースをつけて店の外で食べていました。小さい時から油やバターの匂いの中で育ち、捌きたての鳥の足首を持って動かして遊んでいました。厨房の中の雰囲氣は小さい頃から慣れていました。

藤平:お店を継ごうと思われたきっかけは何だったのですか。

古屋:母親が長女だったので、分店を青山に作ることになって「青山からす亭」ができました。そのうち本店が無くなってしまい、今は麹町に移転したうちのお店だけが残りました。今考えても、自分で選択した氣がしないのです。「よし!それでは志を立てて…」ということもなく、この道に辿り着いた感じです。

藤平:お祖父様が考案された「パンコキール」が有名で、揚げたパンの中にグラタンのようなものが入っている斬新なお料理ですね。私も先日戴きまして、とても美味しかったです。

古屋:有り難うございます。私は孫なので祖父の凄さは余り分かっていなかったのですが2000年に麹町に移転した時に、お客様がパンコキールのことを言うので、これはやらなければならないと思い作るようになりました。
 祖父が開業した当時、有名な老舗の洋食店がひしめく中、お土産になるような名物料理を考えたそうです。料亭への仕出しも多く芸者衆に御贔屓頂いて、国会議員などとのご縁も頂き現在に繋がっております。


写真:パンコキール

藤平:ホリプロ創業者の堀威夫さんもお祖父様の赤坂のお店に通い、「パンコキール」のファンだったと聞きました。

古屋:はい!まさか祖父の「パンコキール」をご存知の方とお会いできると思っていなくて、本当に驚きました。皆様の思い出の味が赤坂、青山、そして麹町のお店に繋がっていると思うと、場を与えられたことに感謝です。

藤平:パンコキールを作るのには、たいへんな手間がかかっていますね。

古屋:パンに飾り包丁を入れたりするのに、力では切れないので、スッと力を抜きます。道場ではなかなかうまく力を抜くことができないので勉強させて頂いておりますが(笑)。
 私は美味しいものを作ろうということだけをやってきた人間ですから、その時に極意なんてものは無かったと思います。それが、心身統一合氣道を学び始めて、特に包丁で切る時に「あ、そういうことなんだ!」ということを後から符合する感じです。

藤平:なるほど。道場で学ぶことが身に付いていることと繋がるわけですね。

古屋:そうです。私はいくら料理を作っても疲れません。「コックの身体になれ」と修行した志摩観光ホテルで習いました。朝5時から働いて一日中立ったままという非常に厳しい職場でしたが、お陰様で、いくら働いてもくたびれない身体になりました。

藤平:私も同じです。基礎の段階で鍛えられているので、一日中、指導をしても疲れませんし、声も潰れません。余分な力を抜いているから平氣なのかもしれません。それにしても料理の世界に「身体作り」が必要というのは想像も及びませんでした。

古屋:素晴らしいコックさんは、動きに無駄がありません。格好良い動きで、美味しいものを一氣に作ることができます。私も基礎の段階で鍛えられたので、今でも一日中やっていて大丈夫なのだと思います。うちの息子なんかは、まだひぃひぃ言っていますが(笑)。

藤平:まさに料理における統一体ですね。

古屋:それなのに、これが稽古だと1時間でヘトヘトになってしまって(笑)。フライパンを持って振っている時は、蹴られようがぶつかられようが絶対に動じないですし離しませんでした。

藤平:先日、ソフトバンクホークスの工藤公康監督の特別番組を観たのですが、プロになりたての西武ライオンズの初期の教育段階で広岡達朗監督(当時)の下、広岡式海軍野球で鍛えられたというエピソードがありました。たいへん厳しいトレーニングで、クールダウンですら10キロのランニング(笑)。それをきちんとやって、生き残る者がプロとして活躍できたそうです。つまり、無理な身体の使い方をしていると、もたない。しかも、広岡さんも一緒に走るのでサボれない。料理の世界でも、それに耐えうる身体を作る基礎の部分が大事だということでしょうか。

古屋:そうですね。今考えると、身体が覚えるまでは何でも大変ですが、それをちゃんとやってくると、年をとっても楽しいです。基礎が大事だというのは、今になって思うことで、当時は「何でこんなに苦しい思いをしないといけないのか」と思っていましたが(笑)。

自然にみて、自然に身に付く

藤平:ところで、お店の「味」というものは、どのように伝わっていくものなのでしょうか。

古屋:実は、僕は何も教わっていないのです。「どうせ修行したホテルで習って来ただろう」という感じで排他的な扱いを受けていました。周りにも職人がいましたから、何であんなに冷たくするのだろう、と思っていました。親父は味の付け方が上手いな、自分も頑張らなければと思っていた30代の頃、親父が「死んだおじいちゃんは味付けが上手かった」と言っていて、「このまま自分はどうなっちゃうの?」と思ったこともあります。古いお客様が来た時は、絶対に比べられるのです。これは宿命です。

藤平:よく分かります。

古屋:それで今度、息子がやる氣満々で修行から返ってきた時に、僕が最も心配したのが「感性」です。いくら原価計算ができても、接客が上手でも、感性がなかったらどうしようもない。でも、当たりが良いのでホッとしました。多分、小さい時からどこにも連れて行けないから、家で食べさせる。僕も同じで好きなものは何でも作って食べさせて貰ってきたので、息子も自然とそうなっているのだと思いました。今回、息子にデパートへの一週間の出店を全部一人でやらせてみました。お陰様でちゃんとできたのですが、やらせる度量も認めて貰いたいです。責任はこちらが持つわけですから(笑)。

藤平:自然にみて、自然に身に付く。先程の堀さんは「プロの世界では、教える意思のある者から学ぶものは何も無い」と仰います。二つの意味があると思うのですが、教わるという意識だと身に付かない。昔で言う所の盗む、見て学ぶ、真似るということ。そして、最近私が強く感じるのは、教える側も「教える意識」で伝えると相手が良くならないのです。何が大事か、どこに重きを置くかということを見せていると、理屈でなくだんだん積み重なってきて自然にできるようになるということが大きいと思います。教え方が親切なのも、本当に良いことか分からなくなることもあります。

古屋:それでも教えてもらえるのは有り難いことだとは思います。自分の場合は古い店なので、レシピというより、「このぐらい」という勘が多かったので…。

藤平:その「勘」はどのようにして養われるのでしょうか。

古屋:それしかないから、やるしか無かったです。僕が修業させて頂いたレストランにはレシピがあって、そのレシピを覚えたいから一生懸命やった訳なのですが、レシピがあったとしても必ずしも良い料理はできないということも分かりました。そこで「勘」が必要なのです。ただ、一応の指針としてのレシピは必要ですし、伝えていくには理論も必要です。料理学校に洋食科というものはありません。フランス料理と比べて劣等感を持っている訳ではないですが、日本人が作った洋食を西洋料理のジャンルとしてレシピを作って、料理技術を形にするのが僕の役目かな、ということでずっとやってきました。息子はリベラルな中で今学んでいます。僕はぶたないし、怒鳴らないし、スクスクと(笑)。言うことを聞かない時は、「ただ身一つあればどこででもやって生きていける料理人になることが大事」と厳しく言っています。

藤平:「継承する」というのは並大抵なことではないですね。最後に、古屋さんが取り組んでおられるマクロビのことをお聞かせ頂けますか。

古屋:以前は体重が100㎏近くてガンマGTPは400ありました。何も考えずに仕事をやっていて、医者に行って状況が分かったのですが薬を飲むのは嫌でした。そうこうするうちに玄米菜食の世界に出会い、クシマクロビオティックスクールに通いました。料理人の観点から、非常に面白い料理方法、乳製品を一切使わないとか、油を使わないウォーターソテーとか、学ぶうちに食べ物のことを考えるようになりました。食べ物はその人の血液を作ります。食べ物を怠った生活をしていると人生を狂わすのでは、と。今、世の中は食べ物で溢れていて、全てを否定はしませんが、自分で作らない方が増えている。やり方が分からないからと買ってくる生活には危険があると思ったのです。それで料理教室も始めました。マクロビをやることで食に対する考えも変わって来ました。

藤平:非常に面白いです。本日は貴重なお話を有り難うございます。

『心身統一合氣道会 会報』(第28号/2019年7月発行)に掲載

食べ物はその人の血液を作ります

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当会では「合気道」の表記について、漢字の「気」を「氣」と書いています。
これは“「氣」とは八方に無限に広がって出るものである”という考えにもとづいています。


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