米村敏朗様との特別対談の「前編」をお届けいたします。
藤平信一 会長
東京工業大学 生命理工学部 卒業
慶應義塾大学 非常勤講師・特選塾員
幼少から藤平光一(合氣道十段)より指導を受け、心身統一合氣道を身に付ける。心身統一合氣道の継承者として、国内外で心身統一合氣道を指導・普及している。
米村敏朗 様
元・警視総監
「想像と準備」
元・警視総監で、内閣危機管理監や内閣官房参与をお務めになり、東京2020オリンピック競技大会組織委員会の理事・CSO(チーフセキュリティオフィサー)など、危機管理に取り組まれた米村敏朗様のお話をお聴きしました。2号連続掲載の前編です。
米村様は、2023年から心身統一合氣道の稽古をなさっています。
藤平信一会長(以下、藤平):警視総監という立場は、極めて責任が重いものと想像しています。米村様はこれまで、主に危機管理を担ってこられたのですね。
米村敏朗様(以下、米村):警察のときも、内閣危機管理監や総理秘書官のときもそうでしたが、危機管理に携わることが多かったですね。
藤平:危機管理において、米村様が最も大切にされていることは何ですか。
米村:危機管理とは、つまるところ「想像と準備」です。ただし、想像が具体的な準備に結びつかない限り、想像していたとは言えません。危機の真っただ中に立たされたとき、しかも時間との闘いのなかでの選択はとても難しいものです。危機に直面して、これまでやったこともないことをやろうとしても上手くいきません。つまり、危機管理とは普段の延長線でなければいけない、ということ。そのための「想像と準備」です。
危機管理に成功はありません。できるかぎり失敗をゼロにすべく必死に努力するのが危機管理で、決してゼロになりません。危機管理はそもそも危機からスタートして、その評価はあくまでも減点法です。したがって「失敗」もあり、「失敗の一歩手前」ということになれば数限りないですが、それを後から振り返ってみると、結局のところ「当たり前のことを当たり前にできていなかった」ということが多いのです。
藤平:人間はなぜ「当たり前のこと」ができなくなるのでしょうか。
米村:そもそも、「危機管理」というテーマは、人が喜んでやりたいことではありません。悪い話があっても、人間はなかなか直視しようとしない。悪い話はできるだけ見たくないし、考えたくない。それが普通だと思うのです。人間は総てを見ているわけではなく、自分が見たいものしか見ていません。現実を直視し、「想像と準備」を徹底することをしっかりしておかないと、いざというときに現実を直視できなくなります。それこそが、危機管理に失敗してしまう最大の原因なのです。
藤平:なるほど。想像と準備のためには、現実の直視という「人間にとって最もやりたくないこと」を徹底しないといけないわけですね。
現実をありのままに見ることが「想像と準備」の出発点
米村:アメリカで9・11のテロがありました。当時のニューヨーク市長はルドルフ・ジュリアーニさんです。彼にとって、あの年は市長の最後の年でした。彼は1994年に市長になりましたが、前年の1993年2月26日にワールドトレードセンタービル(世界貿易センタービル)の地下に600kgの自動車爆弾が仕掛けられて爆発するテロがありました。ノースタワーとサウスタワーは地下で通じていて、地下2階の爆発により6人が犠牲となり、1000人以上が負傷しました。
藤平:当時の報道で良く覚えています。
米村:翌年にジュリアーニさんが市長になって、ニューヨークは再びテロに遭う可能性があるということで、彼は、色々な事件が起こった時に実際に自分は何をすべきか、何をどう動かしたら良いのか、常に訓練に訓練を重ねました。図上訓練もやったし、警察や消防などを集めて様々なパターンで訓練をやり続けました。市長在任中に東京の地下鉄サリン事件が起こったので、サリンを撒かれたらどうするか、生物兵器テロなど様々なケースで訓練をしていたのです。彼の言によれば「Too Much(やり過ぎ)と言われたけれど続けた」と。
結局、9・11の事件が起こりました。テロそのものを彼が事前に把握してどうこうすることはまず不可能で、そこは国家のインテリジェンスの問題で、結果的に失敗しました。テロが起こってから、彼は現場で指揮を執って獅子奮迅の活動を行いました。勿論、後になって彼に対する批判、例えば、どうしてあの時、消防隊を引かせなかったのかなど色々ありました。それでも大方の人が、未曾有の前代未聞の状況下であれだけ次から次に指揮を執って物事を動かせたことを評価しました。その時に彼が言ったのは「大事なのは準備だ」と。
私は当時、警視庁の公安部長をしていて、このテロに触れて「想像と準備」が必要だな、と深く感じたのです。
藤平:なるほど。誰しも「テロが起こるかもしれない」などと考えたくもないですね。そこを直視するからこそ、「想像と準備」ができるわけですね。
米村:危機意識は自然に生まれるものではなく、自ら創るものです。そして、現実をありのままに見ることが「想像と準備」の出発点なのですが、これが人間の本性に反しています。人はそもそも危機を好みませんし、できるだけ事なきを願うのが人間です。つまり「正常性バイアス」です。人間の心理として、バッドニュースはできるだけ見たくないし、見ようとしない。見たとしても「たいしたことにならないだろう」という心理。又、失敗しているのだけれども、失敗を認めようとしない心理。これが最悪の事態を引き起こします。
藤平:日々、人間の心で起こっている働きが、国家の大事に繋がっているのですね。
米村:例えば、オリンピックは世界最大のスポーツイベントで、コロナ禍で世界中が混乱している中でどうやりきるかという時に、私は東京2020オリンピック競技大会組織委員会のCSOとしてセキュリティを担当しました。
ブエノスアイレスで東京オリンピックの開催が決定して、しばらくしてから読売新聞が「東京オリンピックで組織委員会や国に望むこと」をアンケートしたら、第一位はテロ対策だったのです。当時、フランスでテロが頻発していて、テロというのは心理的にインパクトが大きいのです。特別な人が狙われたなら「関係ない」と思いますが、いわゆるソフトターゲットテロ、無差別に、普通の人が日常の活動の中でテロに遭うと聞くと、何となく疑似体験的な恐怖を感じるのです。
藤平:何も事情を知らない私たちからすると、何事もなく無事に終わっただけですが、そこには現実を直視し、膨大な時間をかけた「想像と準備」があったわけですね。しかし、その努力は外からは全く見えませんね。
米村:見えないでしょうね(笑)。そこが、危機管理のしんどいところです。
「なれるな!」
藤平:米村様のことは、実は心身統一合氣道の稽古を始められる前に、報道番組でお見かけしたのが最初でした。2022年7月のことで、安倍元総理が銃撃によって倒れたときでした。
米村:安倍さんが撃たれた時、あるテレビ局からいきなり電話が掛かってきて、「安倍さんが撃たれました!」と聞き、「え!?どこで?」と尋ねると「奈良での選挙応援で」と。「撃った人間は?」と尋ねると「まだ良く分かりません」。状況も良く分からない中で、すぐにBSフジのプライムニュースから出演オファーがあり、予定があって一度は断ったのですが、最終的に出演しました。そして自分で情報を取ってみて、これは警察の明らかな失敗だな、と確信しました。
藤平:警視総監を務めた方が、自ら警察のミスを躊躇無く指摘していたのがとても印象的で、番組のことをよく覚えています。
米村:「想像と準備」に欠けていました。銃撃を受けたとき、安倍さんは交差点のど真ん中のゼブラゾーンに立っていました。ゼブラゾーンというのは、車と車がぶつからないように「ここは走らないようにしましょう」というゾーンなのですから、ゼブラゾーンの真ん中で何かをやるということ自体がそもそもあり得ません。何であんなところでやったのかと思うと、ガードレールで囲われていたからです。現場で見た時に、ガードレールが仇(あだ)になったなと思いました。しかも、全く交通規制をしていない。制服の警察官もいない。車ですぐ近くを通りかかって撃たれたり、モノを投げられるという想像がない。他にもいろいろあります。
藤平:要人警護のプロでもある警察が、なぜこんなにも想定が甘かったのか、民間人として私も疑問に感じていました。
米村:あの時の警察本部長は、かつての私の部下で良く知っています。とても真面目でしっかりした人物です。それ故、思うところはあっても、ここは警察OBとして「警察の失敗です」と、ハッキリと具体的に言わないといけない。人間には失敗しても失敗を認めようとしない心理があるわけで、それは危機管理としては最悪の対応で、グズグズしていたら取り返しがつかないと考えたのです。ネクスト・ワンを防ぐことが最も大事なのですから。
藤平:現実を直視するための厳しいコメントであったのですね。米村様の解説を聞いて、厳しさのなかにどことなく激励のような印象がありましたが、腑に落ちました。
米村:現職のある警察幹部に番組の出演前に「私がハッキリ言うから」と伝えたら、逆に「お願いします」と言われました。
藤平:さきほど、失敗が起こるということは、「当たり前のこと」ができていなかったというお話がありました。この事件も同じですね。
米村:問題は、なぜそれができなかったのかです。「当たり前のこと」ほど、何も言わなかったり、確認しなかったりするものです。「当たり前のこと」ほど、繰り返し、繰り返し言い続けなければいけません。私は繰り返し言い続けましたので、周りは「また同じ話をしている」と思っていたことでしょうが、そこまでやって初めて、当たり前のことが当たり前にできます。
藤平:「安全」についても当たり前になってしまうと、慣れが生じますね。
米村:私が警視総監になった時に、総監就任訓示で何を伝えるか考えて、一番大事なことは何かと思って言ったことが、「けっして、なれるな!」でした。警察が取り扱う事件、事故、捜査、相談というのはいっぱいあるのです。例えば警察官から見れば、同じ様な相談が繰り返しあるわけです。そうすると「またか」ということになりやすい。それが駄目だと。何とか警察で対応して欲しいと思って相談に来ているのにきちんと対応してくれないとなると、「どこへ行けば良いのですか?」という話になる。「なれるな!」というのは、物事に習熟する「慣れる」ではなく、けもの偏の「狎れる」です。これが一番こわい。
藤平:物事は突然生じている訳ではなく、たいていは予兆がありますね。なれてしまうと、そういったものが見えなくなります。
米村:なれないこと自体も本来は「当たり前のこと」です。でも、結局それで失敗してしまうのです。「狎れるな」も言い続けなければいけない、ということです。
藤平:難しい問題だったら、誰だって真剣に考えます。しかし、「当たり前のこと」には油断している。そして当たり前のことを疎かにすることで失敗が生じる。危機管理の観点でお聞きしていますが、日常万般に共通する話ですね。思い当たることがたくさんあります。
(後編に続く)
『心身統一合氣道会 会報』(48号/2024年7月発行)に掲載
「当たり前のこと」ほど、繰り返し、繰り返し言い続けなければいけません。
特別対談一覧
-
2024年10月31日(木)
「想像と準備」 元・警視総監で、内閣危機管理監や内閣官房参与をお務めになり、東京2020オリンピック競技大会組 …
-
2024年07月28日(日)
20代でアフリカに渡り、ケニア・ナッツ・カンパニーを創業。事業を軌道に乗せて、世界五大マカダミアナッツ・カンパ …
-
2024年04月28日(日)
長年にわたって藤平光一先生(心身統一合氣道 創始者)の歯の健康をサポートされた歯科医師、医学博士の小山悠子先生 …
-
2024年01月30日(火)
会報誌第41・42号に引き続き、ご好評をいただいた工藤公康様との特別対談をお届けいたします。 「線を引く」こと …
-
2023年10月31日(火)
公立はこだて未来大学の伊藤精英教授は、生まれつき弱視で、10代で全盲となりました。心身統一合氣道を学ぶために、 …
検索はこちら
当会では「合気道」の表記について、漢字の「気」を「氣」と書いています。
これは“「氣」とは八方に無限に広がって出るものである”という考えにもとづいています。