


身体が弱かった幼少期。
柔道でたくましく成長するも、
稽古で胸を強打し肋膜炎を患う。
心身統一合氣道創始者、藤平光一は、1920年1月に東京・下谷に生まれた。 幼少の頃は身体が弱く、これを心配した父親の手ほどきで9歳から柔道をはじめ、15歳で黒帯を許される。 16歳、慶應義塾大学予科に入学するが、柔道部の稽古で胸を強打し肋膜炎を患う。 医師から絶対安静を命じられて大学を1年間休学する。静養期間は自省の機会となり、身体のみならず、己の心が如何に弱いことか痛感する。 身体が衰弱する一方、心を強くする修行を決意し、京都大徳寺管長・太田常正師に禅を、小倉鉄樹師にみそぎの呼吸法を学ぶ。 命がけで修行に打ち込むうちに肋膜炎は完治。このことは、若き藤平光一にとって、心の状態が如何に身体に影響を与えているか身をもって知る大きな体験となった。



19歳。合気道開祖 植芝盛平師と出会い、即座に入門。
その後、戦地で「天地を相手とする」という修行の眼目を得る。
みそぎの修行をきっかけに心身共に元氣になり、柔道部にもどるが、心の力を忘れた柔道に疑問を持つようになる。 ちょうど、その頃先輩の紹介で合気道植芝道場を訪れ、合気道の開祖、植芝盛平師と出会う。 はじめは目の前の技を信じなかったが、植芝盛平師につかみかかろうとした瞬間に投げ飛ばされ、即座に入門する。 23歳、慶應義塾大学を半年繰り上げで卒業。直ちに宇都宮の東部三十六部隊に入営するが、その際、植芝盛平師より合氣道五段の免状が届く。 少尉となって派遣された中国戦線では、弾丸の飛び交うなか、試合と実戦の場が全く異なることを痛感する。 わずかな氣の緩みが死を意味する戦場で、「臍下の一点に心を静める」ことを体得する。 この時、自分は天地の一部であり、天地によって生かされていることを知り、「天地を相手とする」という修行の眼目を得る。


「心が身体に大きな影響を及ぼす」という 中村天風師の一言で、 合氣道の本質に氣づく。
戦争が終わり、再び禅とみそぎの呼吸法、合氣道の修行に打ち込むが、ある時、知人の紹介で中村天風師に出会う。 その教えに心を打たれ天風会に入門。 中村天風師の講演で聞いた「心が身体に大きな影響を及ぼす」という一言をきっかけに、心身統一こそ合氣道の根本であることに氣づく。
合氣道とは、相手の氣に合わせるのではなく、「天地の氣に合する道」でなければならない。 だが、天地自然の氣に合するには、まず天地から与えられた心と身体を統一していなければならない。 この心身統一を土台にして、初めて真の合氣道となるのである。この氣づきにより自身の合氣道は劇的に変化し、合氣道を指導する際の根幹となった。



33歳。単身渡米し、合氣道の世界的普及に尽力。その後、合気会師範部長となる。
33歳、合氣道を世界に普及する為に単身渡米。横浜港から太平洋航路「プレジデント号」に乗船し8日間かけてハワイに渡る。 氣の原理を説き、合気道の技を示すと、入門する者が相次ぎ、会員の数は着実に増えていった。 さらに、アメリカ21州の他、グアム、フィリピン、ニュージーランドなどで合氣道の啓蒙・普及活動に尽力し、海外での合氣道人口の拡大に道筋をつけた。 その後、合気会 師範部長に就任。国内外で活躍する数多くの合氣道家に手ほどきをする。 1969年、植芝盛平師から合氣道の最高段位である十段を拝受する。




氣の研究会を設立。1974年。心身統一合氣道を創見。
スポーツ、芸術、経営などの各界に氣の原理を普及する。
合氣道の創始者である植芝盛平師が逝去した後、藤平光一は、合気会後継者であった植芝吉祥丸氏との合気氣道の理解で違いがあった。 そのため、氣の原理を普及するため「氣の研究会」を1971年に設立するも、1974年、いよいよ財団法人合気会理事および師範部長の座を辞することとなった。
そして、同年に氣の原理に基づいた合氣道、「心身統一合氣道」を創見。これ以降、心身統一合氣道を世界中に普及する。 氣の原理は、心身統一合氣道を学ぶ者はもちろん、スポーツ選手・芸術家・経営者などに大いに活用されている。



藤平信一を二代継承者に指名。
2011年。91歳で逝去。
1990年、生家のある栃木県芳賀郡に天心館道場(520畳)および宿泊研修施設を開設し、これ以降、世界中から門弟が集う。 プロスポーツ団体の講習や企業研修なども行われている。1997年に後継者として幼少の頃より鍛えて来た息子・信一が内弟子となる。 2007年、藤平信一の人間性・実力・指導実績を認め、心身統一合氣道の二代継承者に指名する。 これ以降、自身は指導の第一線から退き、心身統一合氣道の発展を見守る。 2011年5月、肺炎のために91歳で逝去。 築地本願寺で行われた「お別れの会」には、国内外の各界から数多くの参列者が集まり、別れを惜しんだ。
「氣は人間の潜在力を引き出すだけではなく、人間の健康を守ったり、不運を幸運にも変えてしまうすばらしいものです。 もっと多くの人が氣について学び、これをふだんの生活に生かすようにしていただければ、世界中の人びとを幸福にすることも夢ではない、と私は思っています」(藤平光一著 『氣の威力』より)