創始者
藤平光一

藤平光一 藤平光一 藤平光一 藤平光一

「天地と一体となる」を修行の眼目に
氣の原理に基づいた
心身統一合氣道を世界に普及する。


プロフィール

  • 1920年1月20日、東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。
  • 19歳から合氣道開祖・植芝盛平師に師事。戦後、中村天風師に師事。
  • 1953年から単身渡米し、合氣道の世界的な普及に尽力する。
  • 1971年、氣の研究会を設立。
  • 1974年、氣の原理(心が身体を動かす)に基づいた心身統一合氣道を創見。
  • 2007年、心身統一合氣道の総てを息子・藤平信一に継承。
  • 2011年5月19日、91歳で逝去。

Story-1

身体が弱かった幼少期。
柔道でたくましく成長するも、
稽古で胸を強打し肋膜炎を患う。

心身統一合氣道創始者、藤平光一は、1920年1月に東京・下谷に生まれた。 幼少の頃は身体が弱く、これを心配した父親の手ほどきで9歳から柔道をはじめ、15歳で黒帯を許される。 16歳、慶應義塾大学予科に入学するが、柔道部の稽古で胸を強打し肋膜炎を患う。 医師から絶対安静を命じられて大学を1年間休学する。静養期間は自省の機会となり、身体のみならず、己の心が如何に弱いことか痛感する。 身体が衰弱する一方、心を強くする修行を決意し、京都大徳寺管長・太田常正師に禅を、小倉鉄樹師にみそぎの呼吸法を学ぶ。 命がけで修行に打ち込むうちに肋膜炎は完治。このことは、若き藤平光一にとって、心の状態が如何に身体に影響を与えているか身をもって知る大きな体験となった。

19歳。合気道開祖 植芝盛平師と出会い、即座に入門。
その後、戦地で「天地を相手とする」という修行の眼目を得る。

みそぎの修行をきっかけに心身共に元氣になり、柔道部にもどるが、心の力を忘れた柔道に疑問を持つようになる。 ちょうど、その頃先輩の紹介で合気道植芝道場を訪れ、合気道の開祖、植芝盛平師と出会う。 はじめは目の前の技を信じなかったが、植芝盛平師につかみかかろうとした瞬間に投げ飛ばされ、即座に入門する。 23歳、慶應義塾大学を半年繰り上げで卒業。直ちに宇都宮の東部三十六部隊に入営するが、その際、植芝盛平師より合氣道五段の免状が届く。 少尉となって派遣された中国戦線では、弾丸の飛び交うなか、試合と実戦の場が全く異なることを痛感する。 わずかな氣の緩みが死を意味する戦場で、「臍下の一点に心を静める」ことを体得する。 この時、自分は天地の一部であり、天地によって生かされていることを知り、「天地を相手とする」という修行の眼目を得る。

「心が身体に大きな影響を及ぼす」という 中村天風師の一言で、 合氣道の本質に氣づく。

戦争が終わり、再び禅とみそぎの呼吸法、合氣道の修行に打ち込むが、ある時、知人の紹介で中村天風師に出会う。 その教えに心を打たれ天風会に入門。 中村天風師の講演で聞いた「心が身体に大きな影響を及ぼす」という一言をきっかけに、心身統一こそ合氣道の根本であることに氣づく。

合氣道とは、相手の氣に合わせるのではなく、「天地の氣に合する道」でなければならない。 だが、天地自然の氣に合するには、まず天地から与えられた心と身体を統一していなければならない。 この心身統一を土台にして、初めて真の合氣道となるのである。この氣づきにより自身の合氣道は劇的に変化し、合氣道を指導する際の根幹となった。

33歳。単身渡米し、合氣道の世界的普及に尽力。その後、合気会師範部長となる。

33歳、合氣道を世界に普及する為に単身渡米。横浜港から太平洋航路「プレジデント号」に乗船し8日間かけてハワイに渡る。 氣の原理を説き、合気道の技を示すと、入門する者が相次ぎ、会員の数は着実に増えていった。 さらに、アメリカ21州の他、グアム、フィリピン、ニュージーランドなどで合氣道の啓蒙・普及活動に尽力し、海外での合氣道人口の拡大に道筋をつけた。 その後、合気会 師範部長に就任。国内外で活躍する数多くの合氣道家に手ほどきをする。 1969年、植芝盛平師から合氣道の最高段位である十段を拝受する。

氣の研究会を設立。1974年。心身統一合氣道を創見。
スポーツ、芸術、経営などの各界に氣の原理を普及する。

合氣道の創始者である植芝盛平師が逝去した後、藤平光一は、合気会後継者であった植芝吉祥丸氏との合気氣道の理解で違いがあった。 そのため、氣の原理を普及するため「氣の研究会」を1971年に設立するも、1974年、いよいよ財団法人合気会理事および師範部長の座を辞することとなった。

そして、同年に氣の原理に基づいた合氣道、「心身統一合氣道」を創見。これ以降、心身統一合氣道を世界中に普及する。 氣の原理は、心身統一合氣道を学ぶ者はもちろん、スポーツ選手・芸術家・経営者などに大いに活用されている。

藤平信一を二代継承者に指名。
2011年。91歳で逝去。

1990年、生家のある栃木県芳賀郡に天心館道場(520畳)および宿泊研修施設を開設し、これ以降、世界中から門弟が集う。 プロスポーツ団体の講習や企業研修なども行われている。1997年に後継者として幼少の頃より鍛えて来た息子・信一が内弟子となる。 2007年、藤平信一の人間性・実力・指導実績を認め、心身統一合氣道の二代継承者に指名する。 これ以降、自身は指導の第一線から退き、心身統一合氣道の発展を見守る。 2011年5月、肺炎のために91歳で逝去。 築地本願寺で行われた「お別れの会」には、国内外の各界から数多くの参列者が集まり、別れを惜しんだ。

「氣は人間の潜在力を引き出すだけではなく、人間の健康を守ったり、不運を幸運にも変えてしまうすばらしいものです。 もっと多くの人が氣について学び、これをふだんの生活に生かすようにしていただければ、世界中の人びとを幸福にすることも夢ではない、と私は思っています」(藤平光一著 『氣の威力』より)


 

<著書>

氣の威力

「氣の威力」 著者:藤平光一

 幻冬舎刊/¥1,210(税込)

氣は無限大。誰にでも出せる。出せば出すほど、新たな氣が入ってくる。

あなたの心と体のなかには、じつは信じられないような「氣」というパワーが秘められている。この氣の存在を知り、活用すれば、2、3倍どころか、10倍の力が出せるのである。人の最高の能力を発揮できるようにすること、それが氣を出すことなのである。(本文より)合氣道最高段位十段の著者による、20年を超えて読み継がれるロングセラー『「氣」の威力』の新装版。

氣の確立

「氣に合するの道」 著者: 藤平光一

 Kiマネジメント刊/¥1,980(税込)

2000年に藤平光一先生の傘寿記念で、発刊された「氣に合するの道」より、初段審査までの技を抜粋し「普及版」として刊行。「普及版」は記念本の文章のまま写真を撮り直し、心身統一合氣道の「氣の原理」と「技」を掲載。初心の方はもちろん、昇段審査・昇段審査を控えた方にも必携の教則本。

氣の呼吸法

「氣の呼吸法」 著者:藤平光一

 幻冬舎刊/¥550(税込)

全身に酸素を送り治癒力を高める。ガン、脳血管障害、高血圧、アトピー性皮膚炎など、万病を克服する氣の全身呼吸とは?健康を保ち、いきいきとプラスの人生を送る本。

氣と生活

「氣と生活」 著者:藤平光一

 Kiマネジメント刊/¥2,200(税込)

1981年に発行された藤平光一先生の名著「氣と生活」を復刊。発行からゆうに四半世紀以上経った現在も、その輝きを放ち続ける日常生活への氣の活かし方を記した珠玉の書。2013年に新装。

氣と健康

「氣と健康」 著者:藤平光一

 Kiマネジメント刊/¥2,200(税込)

藤平光一先生が氣の原理を求める途上発見した、心身共に健康になる方法を説いた一冊。氣圧法、氣の呼吸法を詳細に解説。

氣の実在

「氣の実在」 著者:藤平光一

 Kiマネジメント刊/¥2,200(税込)

図版や表現を改め、2021年に「改訂版」として発刊。 氣の修練法とその心構えについて、藤平光一先生が説いた一冊。「氣」に興味をお持ちの方には必読の書。

傘寿記念特別講演会DVD

「傘寿記念特別講演会DVD」 藤平光一

 Kiマネジメント刊/¥6,600(税込)

1999年、藤平光一先生の傘寿を記念して、東京で行われた特別講演会を収めたDVD。「天地を相手とする生き方 どんな時代でも生き抜く力をつける」と題し、氣について、心身統一についてを語る模様を収録。

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心身統一合氣道会では「合気道」の表記について、「氣」という旧字体を用いています。
「米」は四方八方に広がる形であり、氣は出すもの、また氣は通うものであるという「氣の原理」に基づいています。


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