特別対談

服部茂章様にお話をお聞きしました。

藤平信一 心身統一合氣道会 会長

東京工業大学 生命理工学部 卒業
慶應義塾大学 非常勤講師・特選塾員
幼少から藤平光一(合氣道十段)より指導を受け、心身統一合氣道を身に付ける。心身統一合氣道の継承者として、国内外で心身統一合氣道を指導・普及している。

服部茂章 様

NASCARの「ハットリ・レーシング・エンタープライズ(HRE)」チーム代表


元レーシングドライバーの服部茂章様は、アメリカ最大の自動車レースNASCARでオーナーとしてチームを監督し、2018年NASCAR NGOTSシリーズの年間チャンピオンになりました。現在はアメリカと日本を行き来しながら、心身統一合氣道の稽古をなさっています。

心身統一合氣道との出会い

藤平信一会長(以下、藤平):心身統一合氣道との出会いを教えて頂けますか。

服部茂章様(以下、服部):1990年に鈴鹿サーキットで大きな事故をやり一年間入院、手術を何回もやりました。レーサーとしてのキャリアで最も良い時期の事故でした。シリーズ・ポイントリーダーで、翌年のスポンサーも決まっていました。元々、海外でレースをやりたいという思いが強かったので、最終戦前にイギリスに行き、次の年の契約を済ませて帰って来た最終戦の事でした。氣が付いたら10日間くらい経っていて、両足の付け根と大腿骨、全身8ヶ所を骨折して、1カ月間は寝たきりで、ずっと身体を起こせない状態でした。
 翌年に決まっていたスポンサーも他の選手に移ってしまい、精神的にすごくキツかった。調子の良い時には人が集まってくるものですが、一端こうなると、本当に一人だけ取り残された感じになりました。
 元々、本を読むのが好きで、体が動かせない状態でしたので、病院のベッドの上で色々な本をずっと読んでいました。その様な精神的に追い込まれた状況の中で、藤平光一先生の書かれている「心が身体を動かす」という言葉がすごく響きました。それが最初の出会いです。
 その後、リハビリをやり、レースに復帰して1994年にフォーミュラ・トヨタのクラスでチャンピオンになり、翌1995年に渡米しました。そこで野球関係の知り合いが増え、当時、3Aのチームを運営していたエーシー興梠さん(会報誌15号に登場)と出会いました。その後、彼はロサンゼルス・ドジャースの会長補佐となりましたが、車が大好きでレースをよく見に来てくれました。私が走ったインディ500にも応援に来てくれました。数年前、彼から心身統一合氣道の話を聞き、広岡達朗さんにお力添えを頂いてご縁を頂きました。

藤平:レーサーになりたいと思われたのはどのようなきっかけですか。

服部:私は岡山県備前市の生まれで、備前焼の人間国宝になりたいと、将来は陶芸家を夢見ていました。子供の頃、近所に小さなサーキットがあって遠足でそこに行き、レースの車が走っているのを見てすごくインパクトがあったのでしょうね。将来レースをやってみたいと思ってしまい、人間国宝の夢が砕け散ってしまいました(笑)。一度こうだと思ったら、かなりしつこい性格なので、そこから突き詰めて行きました。

藤平:それはお幾つのときですか。

服部:8歳の頃です。そのサーキットにはゴーカートのコースもあり、全日本のレースも行われていました。実は全日本クラスになると、年間1千万円くらいお金がかかりますので、親のサポートなしにはできません。たまたま、レースが好きな同級生がいて、自分はメカニックをやるからと言って、彼にゴーカートを買わせて、結局は殆ど僕が乗っていました(笑)。12歳からゴーカートのレースに出場して、少しずつ上のクラスに上がって行きました。
 親がレーサーの家庭だともっと早かったと思うのですが、両親は全くレースに興味がなく、何とか自力で上がっていきました。現在は自動車メーカーが育成プログラムとしてレーシングスクールをやっていますので、そこに入って成績が良いと自動的に上がれますが、当時はそういった機会は全く無く、小学生の頃から、スポンサーからお金を集める時点でレースが始まっていると言う事に氣がついていました。

心の状態によって感じ方が変わる

藤平:レーサー時代、すごくスピードが出る車に乗っていらしたのですね。カーブに入って行く時に、調子が良い時は周りをよく見えて感じられるが、調子が悪い時はそれがよく分からなくなっているとお聞きしました。

服部:本格的にレースを始め、上のクラスに上がって行く過程で、調子の良い時はすごく集中していて、スピードが出ている感覚がなく、200キロ、300キロでもスローモーションの様に感じる時があったのです。

藤平:同じ速度でもゆっくり感じるのですね。

服部:はい。アメリカでインディに乗っていた時には、直線で410キロくらい出ていました。予選で3周をアクセル全開で走らなければいけない時は、集中しているのでカーブではスローモーションの様に感じました。調子が悪い時は、同じ速度でもすごく速く感じます。

藤平:とてつもない速さですね(笑)。

服部:まあ、実際速いのですが(笑)。スピードの感じ方を通じて、「今日は集中できているな」と分かります。逆に集中出来ていない時は自分では全開で走っているつもりでも、後でデータを見ると、コーナーでスピードを落としているのです。本当に調子が良い時は、一周目からアクセル全開のまま410キロでコーナーに入ります。コーナーではハンドルを切るので抵抗でスピードが落ちますが、それでも360キロくらいでカーブを通過していました。

藤平:ある種の確信があるのでしょうか。

服部:そうですね。実際には走っている時に、静かな所でゆったり珈琲でも飲んでいる感覚の時があります。音が全部後ろに行くので、遠くからキーンという高回転の音を静かに聴きながら、リラックスして運転している。そういう状態に入れる時と入れない時がある。予選前は緊張するのですけれど、集中出来る時と、何故か出来ない時がある。「あの感覚に常に入れるようにするにはどうしたら良いか」が自分の中で課題になったのです。

藤平:なるほど、そこで心身統一合氣道の稽古に繋がるわけですね。
 ロサンゼルス・ドジャースでの指導の際に、あるピッチャーから「臍下の一点を学んで、球は間違いなく良くなっているとキャッチャーから言われるのですが、自分の感覚ではフォームが遅くなっていると感じます」と質問が出ました。そこで、ビデオ解析チームが撮影して過去のフォームと比較してみたら、スピードはほとんど変わっていなかったのです。感じ方が変わったということですね。
 私には400キロオーバーの世界は分かりませんが、道場の稽古では同じことを感じます。突いてくる相手の拳を見ると実際の速度より速く感じますが、心を静めて相手の全体を見ているとゆっくり感じます。心の状態によって感じ方が変わるのは共通していますね。

服部:ですから、最初に心身統一合氣道会に来た時、色々と話を聞いて「これだ!」と感じました。臍下の一点に心を静める。全身の力を抜く。すごく腑に落ちました。思い出せば、予選前に緊張していてもパッと入れる時というのは、リラックスしていました。

藤平:緊張はいざという時に力を発揮する為に必要があって生じていて、「緊張しないように」と構えたり、「緊張なんかしていない」と自分に嘘をついたりするとどこまでも追いかけて来ますね。緊張を受け入れた瞬間に順応していく感じは良く分かります。

服部:アメリカでは毎週の様にレースがあるので、僕もどうやったら緊張しないか試していました。でも、やっぱり緊張がないと、結果は出ないのです。緊張があって、その中で、そこからもう一歩奥に進んでいって、リラックスして集中出来た時に、最高の状態に入れるという事が少しずつ分かってきました。緊張しないようにして身体の力が抜けてダラッとしていると、そこに入れないのです。
 レースのスタート前、周りに人がいなくなり、エンジンをかけるまでの1分間があります。この時は足が震えて、「何でここにいるのだろう?日本でコタツに入って蜜柑を食べている方が良いのではないか」と考えたりします(笑)。ただエンジンをスタートさせた瞬間に闘争心が出てきて、雑念がスッとなくなり、パッと入れる瞬間があるのです。

相手を受け入れて、コミュニケーションを取っていく

藤平:事故をされた後、レーサーに戻るのに恐怖心はありませんでしたか。

服部:最初はありましたが、自分のキャリアで一番良い時だったので、自分の走りを取り戻したいという氣持ちが強かったです。本当に「もう一度走りたい」という氣持ちの方が強かったので、リハビリはかなり大変でしたが、乗り越える事ができました。

藤平:その後、ご自身のチームを持たれることになります。

服部:ドライバーを辞めて2年くらいは全くレースに関係せず、アメリカに残ってUCLAでクラスを受講しながら、今後はレース以外の事をやろうと思っていました。ただ、これまでレースをするために色々な方にお世話になり、今の自分があるのは皆さんの応援があっての事だと思った時に、このままレースをやらないというのは申し訳無いと思うようになりました。そこで、今までの経験を活かしてチームを立ち上げ、若手の育成をするのが一番かなと思いました。2008年にアメリカでチームを作り、2018年に悲願を達成しました。

藤平:日本人のオーナー、監督で初めてのことなのですよね。

服部:そうです。いま参戦しているNASCARというレースは日本でいうと大相撲のような、アメリカのモータースポーツの国技と言われています。本当にドメスティックな世界です。外国人がそこに入って行くこと自体、大変なことです。あれだけ長くアメリカで車を販売して国民の支持を得ているトヨタ自動車ですら、何年もかかって2004年にやっと参戦を認められました。

藤平:ドライバーの多くはアメリカ人ですね。レースの感覚的なところを、言語の異なる皆さんにどのように伝えているのですか。

服部:それにおいても、心身統一合氣道で学ぶことがとても役立っています。相手を受け入れて、コミュニケーションを取っていくという事が非常に勉強になります。以前ですと、アメリカ人は日本人とはアピールや主張も違うので、「お前ら、そうじゃないだろう!」とバンとぶつかっていました。今では一旦受け入れた上で、「そうだけど、もう少しこうしたら?」とコミュニケーションの仕方がだいぶ変わって来たと思います。

藤平:最後に、今後の抱負をお教え頂けますか。

服部:NASCARで上から3番目のクラスでチャンピオンを獲得して、昨年から2番目のクラスにも参戦していますが、最終的には1番上のトップクラスでチャンピオンになりたいと思っています。そして帰国した際になるべく時間を作り、もっと心身統一合氣道を学んで、日米の若い選手に伝えていければと思っています。

藤平:本日は貴重なお話を有り難うございます。

『心身統一合氣道会 会報』(第30号/2020年1月発行)に掲載

もっと心身統一合氣道を学んで、日米の若い選手に伝えていければと思っています。

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当会では「合気道」の表記について、漢字の「気」を「氣」と書いています。
これは“「氣」とは八方に無限に広がって出るものである”という考えにもとづいています。


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