特別対談

常岡宏様にお話をお聞きしました。

藤平信一 心身統一合氣道会 会長

東京工業大学 生命理工学部 卒業
慶應義塾大学 非常勤講師・特選塾員
幼少から藤平光一(合氣道十段)より指導を受け、心身統一合氣道を身に付ける。心身統一合氣道の継承者として、国内外で心身統一合氣道を指導・普及している。

常岡宏 様

ハワイでの藤平光一先生の講演で、通訳を行う。
常岡一郎氏(明治32年生まれ、日本の政治家)を父に持つ。


「縁」は人が運んでくれる

藤平信一会長(以下、藤平):昨年(2014年当時)『運命をひらく言葉』が出版され、雑誌「致知」で特集が組まれるなど、常岡一郎氏(明治32年生まれ、日本の政治家)に注目が集まりました。ご子息である常岡宏さんは、なんと藤平光一先生と約60年前にご縁があったそうですね。

常岡宏様(以下、常岡):はい。ハワイでの藤平光一先生のご講演の際、ハワイ大学の学生だった私が通訳することになりました。小柄の日本人である藤平先生が大柄のハワイの学生達をコロンコロンとひっくり返す様子が印象的でした。「何でこんなに簡単にひっくり返るのですか?」と聞いたら、「それにはちゃんと原理原則があるのです」と仰って、道場の方と色々な実演をして下さいました。

藤平:まだ英語が上手になる前の父の講演を英語通訳して下さったのが常岡様だったということは全く存じ上げませんでした。

常岡:実は全体で一時間くらいの講演で、私は冒頭のお名前のご紹介などを英語でしただけなのです。その後、デモンストレーションがあって、結局、講演の部分はハワイのお弟子さん達が通訳してくれたという記憶があります。それっきりでしたが、頭のどこかに「藤平光一先生」という名前が残っていました。

藤平:現在、当時のハワイでの藤平光一先生の講演や演武をご存知の方は少なく、大変貴重なお話です。常岡さんがあの時代にハワイにいらしたのには何か理由があるのですか。

常岡:昭和28年に目の治療の為、ハワイに行きました。実は17歳の時、日本で片方の目の手術に失敗し、人に会うのも嫌になり失意のどん底にいたのです。たまたま日本脳炎の研究の為、東京にいらしていたハワイの蚊撲滅協会の方のご縁で「ハワイにDr.パンというアメリカで一番の有名な目のお医者様がいるから行こう」ということになりました。すぐにアメリカ大使館に連れて行かれ、その場でビザの手続きをして、19歳になった1953年2月14日のプレジデントウィルソンという船に乗りました。英語は分からなかったのですが、数学は日本の計算方法(九九)でするとスピードが速いということで、高校の先生の採点助手をしていて、せっかくだからと大学の試験も受け、ハワイ大学に入学しました。

藤平:大変なご苦労をプラスに転じられたのですね。それにしても、この度、半世紀以上の時を経て、藤平光一先生の息子である私が常岡さんのお話をお聞きできましたことに大変驚いております。

常岡:本当ですね。確か、今から2年くらい前に、静岡の松本先生(心身統一合氣道会 健心館道場)からお電話を頂いて「『運命をひらく心』はありますか?」と尋ねられました。私の父・常岡一郎が随分前に出した本でしたので、在庫を扱っていた方から買ってお届けする為に健心館道場に寄りました。そこで正面の「氣」の書を見て、藤平光一先生の名前をお聞きし、色々なお話しをお聞きする中で、ふと遠い記憶が蘇ったのです。あの時、本を送ってしまっていたらご縁に氣がつきませんでした。たまたまお伺いしたことでご縁ができた感じがします。これだけの年月を経て、また繋がるご縁というのは、実に不思議ですね。

藤平:はい。「縁」は人が運んでくれると言われますが、まさに大きな流れの中での不思議な繋がりに感じます。常岡さんご自身のことをもう少し色々お聞かせ頂いても宜しいでしょうか。

常岡:私は昭和35年12月にリュウマチと診断され、長い間患っており、寝ても起きても痛くて、いつも死のうと思っていました。昭和63年頃には、いよいよ脚を切断しようということになったのですが、何故がどうしてもお医者様が切れないと言いました。昭和64年1月2日に父が亡くなったのですが、その後、痛みが無くなりました。理由は分かりませんが、父がリュウマチの痛みを持って行ってくれたのではないかと家族では話しています。お医者様も「一体どうなったのか全然分からないが、治ったことは確かだ」と言っておられました。そんな私が81歳の今でも元氣で車を運転して全国あちこちを飛び回っているのですから、分からないものです。

「縁」に導かれて

藤平:お父様はどの様な方だったのでしょうか。

常岡:父・常岡一郎は慶應義塾大学の学生をしていた頃、肺病になりました。大学を卒業し商売をして財産を成すことを目標に掲げて故郷を出たそうなのですが、母親が「何でもハイ、ハイと言っていかないと、肺病になるよ」と注意をしてくれたのを「そんなことを言っているから駄目なのだ。肺病のハイ(肺)と、ハイ、ハイのハイは字が違うのだから」と答えたと言います。ところが実際に肺病になってしまった訳です。そして、大学に行けなくなってしまい、小田原で転地療養をしようと、海岸で空氣を一生懸命吸っていたところ、たまたま通りがかった先生から「お前は何をやっているのだ?良い空氣を吸ってばかりいるからコロコロ死ぬのだ。死にたくなかったら俺の所へ来い!」と言われ、ある呼吸法の道場へ通うことにしたそうです。

藤平:お父様も、「縁」に導かれていたのですね。

常岡:そうです。父はその指導者から、ひたすら息を吐くことを教わったそうです。自分は大学へ行っている、というような頭があるものですから「吸わないでは吐けるものだろうか。吸ってはいけないのですか?」と尋ねたところ、「何だ、吸っているのか?意識して吸ったのでなければ構わん。吐けば自然に入ってくる。鼻の穴はあいているのだから当然空氣は入って来る」と、とにかく吐く呼吸法を習ったと言います。

藤平:とてもシンプルで分かりやすい説明ですね。心身統一合氣道で教える「氣の呼吸法」でも、まずは吐くことを大事にしています。

常岡:吐くことは人間の基本なのだと思います。

藤平:道場では他にどのようなことを学ばれたのでしょうか。

常岡:当時は便所がくみ取り式で臭かったのですが、皆が嗅がない努力をしていると、先生から「自分が一生懸命掃除して努力していたら、臭いなんて氣にならなくなる。自分から心遣いをしなさい」と言われ、父は道場の便所掃除を始めました。そうした人との出会いを通じて、親の心を理解したそうです。

藤平:大事な教えですね。

生活の中の実践

藤平:お父様は、家ではどの様な方だったのでしょうか。

常岡:家では細かいこだわりや厳しさが全然無い人でした。一番大事なことは「実践しなさい」ということ。例えば、ハワイ、ブラジル、ヨーロッパなどをお供したことがあるのですが、父はどこに行っても朝が早いのです。毎朝4時半にはネクタイを締めて起きています。生活のリズムだから変えられないと言うのです。夜はわざわざ12時くらいまでテレビを見て、消してすぐに寝ます。そして4時半になったら起きている。日本ではいつもそうしていましたから、お客様が4時半には皆待っていたのです。でも外国ではそんな朝早くから来られる方はいないのですから必要無いのにリズムを変えないのです。

藤平:生涯、徹底されていたのですね。

常岡:「一日止めたら何年続けていても、それで終わり。続けたことにならない。何にもならないよ」と父は言いました。生活の中の実践ということを、身をもって示してくれていたのだと思います。自分には厳しい人でした。ただ、人に対してはものすごく氣を使いました。人はどれだけ寝ていても構わないのです。「務めるだけ、尽くすだけ」と決め、いつも人の心を一番大事にしていました。ですから、人の心に対しての対応は家族にも厳しかったです。

藤平:お父様は陰日向の無い、まさに実践の方。そして、それを人には強要しない、という生き方をされたのですね。

常岡:亡くなる前に「お前は話をするな。話は俺が全部してきた。とにかく実践しなさい」と言われました。ですから、私も誰かの為に動いて何かすることは苦になりません。

藤平:常岡宏さんのご活動についてもお聞かせ頂けますか。

常岡:私は精神障害を持つ方との繋がりもたくさん頂き、色々お手伝いさせて頂いているのですが、自分が一緒にやってあげることで彼らは変わります。一人、滝で大事な先輩を亡くして精神障害になった方がおられました。その方をお預かりしたのですが、お手洗いを流す水の音を聞くと固まって動けなくなってしまうのです。私は彼と一緒にお風呂も入っていたのですが、水の流れる音を聞くと2時間も3時間もじっと固まる。私はいつでも彼が落ち着いて一緒に動ける様になるまで待っていました。当然お風呂は冷めてしまいましたが、じっと一緒にしてあげることで変われるきっかけになるのです。そういうことを私は一生懸命努力させて貰いました。随分と変わって下さった方がいました。そういった経験が心に残っていくものです。私はしゃべらず、一緒になって動くことを実践することを心がけて、良かったと思います。

藤平:言葉にするのは簡単ですが、実践するのはたいへんなことですね。

常岡:父はまた「人のお役に立つ為の借金ならして良い。親の借金、子の宝」と言っていました。お金があってやるのではなく、自分が出せるものは出そう。まず出せるのは真心だと。真実さえ持っていれば人はお金を出してくれる。人に説くには、それだけのことを務めなければならないと。父は参議院の議員もさせて頂いたこともあり、講演もよくしておりました。よく「聞いている人がしゃべらせてくれるのだから、相手の心に訴えることだよ」とも申しておりました。

藤平:「人のお役に立つ為の借金」は実際になさったのでしょうか。

常岡:はい。父は戦後、引き上げて来た人達が学べるようにと、福岡の学校を買い、無料で授業を受けさせて高校卒業資格を与え、無料で寄宿もできる場所を全部借金で作りました。当時、自宅の家具には差し押さえの赤い紙があちこちに貼られていました。先日もその卒業生らが集まって亡くなった父の生誕115年を祝う会を開いて下さるなど、今でも父を大事に思ってくれています。

藤平:「ほったらかし温泉」(http://www.hottarakashi-onsen.com)を始められた経緯も教えて下さい。

常岡:山梨県に持っていた山で、父の縁で温泉掘削の機械を試したいという方から頼まれて、山の上を掘って貰いましたら、たまたま温泉が出ました。「ほったらかし温泉」と名付け、スタッフの手作りで運営をしています。最初のお客様は二人でした。そうしたら近くにフルーツパークという施設ができて道路も作られ、山の上ですから、富士山が良く見えてとても氣持ちが良いと評判になりました。今では観光バスも来て、年間40万人の方が温泉に入りに来て下さっています。不思議です。何か今でも父が糸をたぐっているのではないかと思います。

藤平:そうかもしれないですね。本日は私も、このご縁に感謝しながら、素晴らしい景色と温泉を楽しませて頂きました。

常岡:父が亡くなって25年経ち、『常岡一郎一日一言運命をひらく言葉』という本が出てきました。致知出版社の編集の方は、時代が必要としているのだと言って下さいました。こういう土台のことは、本来は、自然の繋がりや生活の場の中から生まれてくることなのですが、なかなか今の時代では難しいのかもしれません。教えようとすると、反発されることもあります。大事なのは実践する人間の生き方に触れて貰うことだと思っています。
 藤平光一先生、藤平信一会長との貴重なご縁に感謝しています。これからの心身統一合氣道の益々のご活躍をお祈りしています。

藤平:人間の土台づくりでお役に立てるように努力して参ります。本日は貴重なお話しを有り難うございます。

『心身統一合氣道会 会報』(第6号/2014年1月発行)に掲載

特別対談一覧

  • 2019年05月24日(金)

    松本 貴志様 特別対談

    ドラッグストアチェーンの「マツモトキヨシ」創業家で、取締役を務める松本貴志様に、心身統一合氣道の学びの仕事にお …

  • 2019年04月23日(火)

    常岡 宏様 特別対談

    「縁」は人が運んでくれる 藤平信一会長(以下、藤平):昨年(2014年当時)『運命をひらく言葉』が出版され、雑 …

  • 2019年03月30日(土)

    前野 隆司先生 特別対談

    「無意識」の領域 藤平信一会長(以下、藤平):前野先生は慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント科の …

  • 2019年02月23日(土)

    山田 博様 特別対談

    山田様は(株)リクルートを経て、2004年プロ・コーチとして独立。人が自然、大地とのつながりを思い出し、先の世 …

  • 2019年01月22日(火)

    田原 総一朗様 特別対談

    ジャーナリストの田原総一朗様と野球評論家の広岡達朗様の対談が収録された『私たちの「遺訓」』(ワニ・プラス)が出 …

その他の特別対談一覧

無料体験・見学のご予約は、お近くの道場・教室まで
検索はこちら

当会では「合気道」の表記について、漢字の「気」を「氣」と書いています。
これは“「氣」とは八方に無限に広がって出るものである”という考えにもとづいています。


top