特別対談

野田一夫先生にお話をお聞きしました。

藤平信一 心身統一合氣道会 会長

東京工業大学 生命理工学部 卒業
慶應義塾大学 非常勤講師・特選塾員
幼少から藤平光一(合氣道十段)より指導を受け、心身統一合氣道を身に付ける。心身統一合氣道の継承者として、国内外で心身統一合氣道を指導・普及している。

野田一夫 先生

一般財団法人 日本総合研究所名誉会長
一般財団法人 社会開発研究センター名誉会長
多摩大学名誉学長
初代宮城大学学長
事業構想大学院大学名誉学長


野田先生は、一般財団法人の日本総合研究所や社会開発研究センターの創業所長(後に理事長)、また多摩大学・県立宮城大学・事業構想大学院大学などの創業学長として、日本の教育界と経済界双方に常に新風を起こし続けてきた方です。ピーター・ドラッカーの学説の日本産業界への最初の紹介者としても有名です。他方、例えばソフトバンク創業者の孫正義氏が昔から先生を「師匠」と呼ぶのみか、HISの創業者の澤田秀雄氏、パソナの創業者の南部靖之氏などを含め、名だたる創業型経営者の数多くが、若い頃に野田先生の薫陶を受けたことも広く知られています。満90歳(2017年当時)を迎えられる野田先生に、藤平信一会長が教育の観点からお話を伺いました。

「世界に通じる人材」とは

藤平信一会長(以下、藤平):心身統一合氣道の創始者である藤平光一は、敗戦後の1953年にアメリカへ渡り、まだ弟子が一人もいなかった時代に、合氣道の普及に尽力しました。渡米直後は語学力がまだ十分ではなかったため、自学で努力して会話力を学び取ったようです。…ところで、日本、とくに戦後の日本では「国際人=英語を話せる人」という風潮がありますが、この考えに私自身は多少疑問を感じております。野田先生がお考えになる「世界に通じる人材」とはどのような人間でしょうか。

野田一夫先生(以下、野田):〝スペシャリティ〟、つまり「技」であろうと「知」であろうと、どこの国にも、それを身に着けていることが社会的に高い評価を受ける対象が幾つもあります。お父上の場合、合氣道が米国人からも高い評価を受けるとの自信を抱き、その普及のために英語を身につけようとされたわけですが、戦後の日本では、目的は何も無くても、ただ「英語が話せること」だけが重要視されるようになりました。これには大きな問題がありますね…。
 どこの国でも、自国語で日常生活が送れれば、それが成人として〝普通〟なワケで、言葉だけで高い社会的評価を受けられることはありません。英語圏の国なら、乞食でも日常英語に苦労なんかしませんからね…(笑)。ですから、英語圏でない国の国民も、「単に外国旅行のために英語習得に長い時間をかけることなど、愚かだと…」と悟るべきでしょう(笑)。
 逆に、自国で学べないことを英語圏の国々に行って確実に学び取るとか、英語圏の国々で社会的評価を受けるに足る知識なり技術を確実に伝えるためとか…といった目的達成のためになら、中途半端ではなく必要かつ十分な〝英語力〟を努力して身につけるか、そうでなければ、自分の〝意〟を確実に伝えられる英語能力を持つ人の協力を得るしかありません。
 とくに日本人は、ちょっとした複雑なことですら、それを自国語で確実に説明することが不得意な民族ですから、商取引にせよ学界報告にせよ、自分の英語に絶対自信が持てなければ、好むと好まざるとにかかわらず、ベテランの通訳を含め〝その道の英語〟の確実な人の助けを借りるべきでしょう。僕もそうしています。日常英語が得意だからと言っても、あらゆる専門知識に通じた通訳者はいるはずはありませんから、自分の専門分野に関し確実な通訳をしてくれる人を日頃から探しておくか、専門の通訳会社に協力を依頼すべきです。

藤平:私は米国の大学生にも心身統一合氣道を指導する機会がありますが、日本の大学と米国の大学では様々な点で意識に違いがあるように感じます。大学教育において、日本と米国とでどのような違いがあるのでしょうか。

野田:その質問にまともに答えられる人物は、米国にも日本にも多くはいないはずです(笑)。何しろ米国には日本の文科省に当たる中央官庁もありませんから、全体として約2,000校と言われるピンからキリまでの大学の詳しい実態はもとより、現時点の概要を知ることすら容易ではないのです。ただし、日本人の知識層にその名が知られている大学は、私立・州立を合わせ恐らく約50校。これらの一流大学は公益法人を組織していて、一方ではその教育ならびに研究成果と、他方では経営実績の両面で高レベルとを維持するために常時大変な努力を傾けているそうで、この法人に新規加入するには、教育・研究と経営・管理両面から数ヶ月にわたる徹底的な審査が行われる、と僕は米国の親友から聞かされました。

藤平:野田先生が米国の大学に招かれたのは何時頃でしたでしょうか。

野田:僕は幸い30歳の頃MIT(マサチューセッツ工科大学)に2年間、40歳の頃ハーバード大学に約半年、何れもフェローとして招かれ、あらゆる点で日本の大学よりも恵まれた待遇で仕事をした経験がありますが、この経験を通して日米の一流大学を比較すると、経営面はもちろん研究・教育面でも、残念ながら米国の方が断然勝っている、と言うより、“納得できる”とつくづく感じさせられました。今日はそのことに関して詳しくお話をする時間的余裕はありませんが、あれから数十年経った現在、「あの日米格差は縮まっただろうか?」と自問してみて、「Yes!」とは簡単に言う氣になれないことがとても残念です。
 一つだけ具体的な例を挙げましょう。日米の一流大学の教育を比べて、一番はっきりしているのは、入学より卒業の難易度でしょう。毎年、日本では東京大学入試の合格発表が新聞などで大々的に報道されますが、米国の一流大学では、入学者は飛びぬけて喜びはしませんし、入学式さえ事実上無いようなもの。大学に入学はできても、卒業できる確率は50%くらいで、授業について行けない学生はどんどん中退させられてしまうからです。
 つまり、入学できても卒業できるとは限らない、それが一流大学なのです。だからこそ、卒業式には皆お揃いのガウンを着て派手に華やかに行うのでしょう。日本では、入学試験の倍率が高い一流大学でもとくに文科系では、入学さえすれば、授業をほとんどさぼっても期末試験の時には友人のノートなどを借りたりして一夜漬けの勉強さえすれば〝単位が取れ〟結果として卒業もできることが慣習化しているのは、昔も今も同じでしょう。

藤平:なるほど…、米国の一流大学の方が教育面でも明らかに、正しい意味での〝実用主義〟が徹底しているわけですね…。

野田:教育面だけではありません。研究面でも経営面でも徹底して〝実用主義〟だということを、僕は直接体験させられました。今から60年も昔、…と言うことは、30歳の僕が立教大学助教授で、日本社会では未だ(1ドル360円の固定レートで)敗戦氣分が残っていた頃、突然マサチューセッツ工科大学(MIT)が驚くほどの好条件で招いてくれたおかげで、僕はポストドクトラル・フェローとして、新婚直後の妻を連れ、生まれて初めて渡米しました。
 初めてMITへ行き、驚かされたのは、僕の専属秘書を直接紹介してくれたことでした。日本で〝秘書〟と言えば、「偉い人のお世話をする若い女性」と言うイメージが60年後の今でも社会的に定着しています。当時、そして60年後の今でも恐らく、大学で秘書が付く地位と言えば〝学長〟くらいのはず…。ところが米国ではとうの昔から、年齢や地位とは一応関係なく、「特定の期待された仕事をする人は、その仕事に専心させるべきだ」と言ういかにもプラグマティックな考え方が大学にまで徹底していたらしく、敗戦国から招いた年若い学者である僕にも、秘書を配したのはごく自然だったのです。
 ところで、専属で私についた秘書は銀髪の年配の女性でしたが、一緒に仕事をしてみて、その能力と人柄には心から感心させられたものです。僕が前の晩に苦労して書いた英語の論文なんか、機関銃を発射するかのように早くタイプしてしまうので、毎晩「明日は、彼女に何をやってもらおうか…」と考えるのが、一苦労でした。何しろ朝は僕より早く来ていて、僕が来るや「今日は何をするのか?」と必ず聞くので、時には、「秘書なんか居ない方が、氣楽にマイペースでやれる…」と思ったりしたことさえありましたね(笑)。毎朝、「今日の仕事は?」と聞かれるので、前日には彼女に明日何をして貰おうかと準備せねばならぬ点で、必然的に仕事をさせられる環境だったという意味で、日本の大学とは大違いでした。

藤平:先生はもともと“理系”のご出身だと伺いましたが…。

野田:…よくご存知ですね。子供の頃から僕は、日本の航空技術界の草分けだった父親を尊敬して航空技師を憧れましたから、当時は東大にしかなかった航空学科を子供心に一途に目指しましたが、18歳になった旧制高校卒業寸前の夏に敗戦を経験。「日本における航空機の製造ならびに保有の禁止」という占領政策に沿い東大航空学科は廃止。しかも当時は、日本中の工場という工場は大戦末期の空襲で徹底破壊されたために「大学の理工系を卒業しても、ロクナ就職先はない」という世間の声にも動かされ、当時の文部省の特例に従い、理系に心を残しつつ文系に移籍。結果として大学教授の人生を送ることになったのです。

藤平:それでも結果的には、その後実に充実した人生を歩んで来られたようで…

野田:…ですから、その後半世紀を軽く超えた僕の大学教授人生は、何から何まで日本の標準的大学教授人生とは違っていますよね…(笑)。実はそうした人生を歩みつづけながら、僕は〝社会科学〟、いや、厳密に言えば、〝日本の社会科学〟に失望しつづけてきたのです。〝科学〟をどのように定義しようと、日本の自然科学には科学としての実績がありますが、社会科学には〝科学〟としてのどんな実績があるのでしょうか?日本の社会科学者の多くが、常識的な事柄をわざわざもったいぶった表現で難しそうに言いたがるのも、彼らの劣等感の現れでしょう。僕は絶対に〝経営学者〟なんて言われたくはありませんね…。

藤平:それでは、大学教育における「理系」と「文系」の違いについてはいかがでしょうか。

野田:理系は大体、ちゃんとしたことを学んで卒業するが、文系卒業生の多くは〝学歴〟をひどく誇る人でも、「大学で学んだことが世の中に出て、何の役に立ったか」は誰に聞いてもハッキリ言えない。私自身は理系の航空技術者志向一筋だったのに、東大工学部航空学科が廃止になったため、一年くらい悩み抜いて文系に転じたのですが、同じ大学でも、理系と文系とでは、教育慣習や態度がどうしてこうも大きく違うのかと驚き、大学では、多くの教師に対して、「何でこんなにいい加減なのか…」と不満をぶつけ続けましたね。社会科学系の学生になって、自然科学の有難さを心から感じたのは、小学校の理科以降、程度はだんだん高くなるけれども内容はどの国で習っても同じこと。文系は全くそうじゃない。大学によって、いや同じ大学でも先生によって言うことが違う。使われる数字でも、理系なら条件と計り方さえ同じなら、誰が計っても同じ数字が出る。それが〝計測〟というもの。その点、自然科学と社会科学とでは、使う数字の〝重み〟が丸きり違いますよね。
 社会科学とくに経済学では、物価指数とか失業率とか頻繁に数字を使いますが、理系出身の僕の場合、それらをどうやって計るかということに先ず関心を持つ。新聞の内閣支持率みたいなものも、全く同じ頃調査したのに、朝日と読売とでは数字が随分違う。「どっちが正しいか」と聞いても、そんなことは誰も氣にしない。大部分の読者が、数字というのは「計る人によって違う」のが当たり前だと思っているからでしょう。もともと理系出身のせいか、僕は社会現象の数字に接すると、測定法に先ず関心が行きますが、それだけでも、同じ高等教育とは言え、理系の学生の方がきちんとしたことを学んだと思いますね…。

日本と米国の学び方の違い

藤平:なるほど、私も実感を持って理解出来ます。ところで、米国に話が戻りますが、私は心身統一合氣道の土台である「氣」を3年間に亘ってロサンゼルス・ドジャースで指導しました。厳しい現場ではありましたが、ひとたび学ぶ価値があると分かると、選手もコーチも実に真剣に学ぶようになったことは、忘れられません。プロアスリートの現場においても、日本と米国とでは、学び方に大きな違いがあるように感じました。

野田:日米の大学教育に関しても、同じことを感じさせられますね…。日本の大学、とくに文系は伝統的に〝実学〟教育というものを軽んじる一方、世間も「大学で実際に何を勉強してきたか」より「どこの大学を出たか」を評価基準にする。だから、〝一流大学〟の学生の多くさえ、ひとたび合格した後の大学生活の思い出と言えば、「部活だけ…」と言った人たちが多い。そうした状態が定常化している責任は明らかに教える側にあると思うべきなのに、ほとんどの大学側ではそういう状態を知りながら、何もしない。情けないですね…。

藤平:藤平光一も、最初にアメリカに渡ったとき、初めのうちこそ扱いは悪かったそうですが、ひとたび「合氣道には学ぶ価値がある」と認識するや、〝敗戦国〟からやって来た専門家から真摯に学ぼうとし始めたとのこと。米国にはそういう社会風土があったからですね。

野田:全くそう思います。ところで、そもそも合氣道のように「道」が付くものは、「術」ではありませんね。つまり、単なる技では無く〝精神〟を大事にするわけですね。ところで、最近は日本でも、色々な機会に心身統一合氣道の話を聞きますが、どのような方が学ばれるのですか。

藤平:老若男女、様々なご職業の方が学ばれていますが、特に企業を含むいろいろな組織のトップの方々の多くは、「氣力を養いたい」という目的で学びに来られるようです。

野田:そうでしょうね。それに、精神力は肉体的健康とも深く結びついています。重病患者も、自分が「駄目だ」と思うと死ぬらしいですね。「俺は絶対生きるぞ」という氣力のある人間は長生きするらしい。「病は氣から」という言葉も、たしかに現実的裏づけがあります。

藤平:若い頃から、野田先生はどのようにして、そんな〝氣力〟を養われたのですか?

野田:そんなこと考えたこともありませんでしたが、強いて言えば〝山登り〟でしょうか?僕の場合、父親の影響で小学生の頃から登山好きで、大学競技と違って登山は〝競争〟が無く、氣心の知り合った者同士で励まし合いながら苦労を共にして楽しめることが、一番氣に入っています。大学時代も山岳部に入り、いろいろな山に登りました。そのお陰か足が他の人に比べて丈夫なだけでなく、90歳近い今日まで病院に入院するほどの病氣をしたことが全くありません。東大医学部長までした年下の親友・渥美君(※渥美和彦先生、東京大学名誉教授・医学博士)は、「人生で病氣入院したことがない野田さんのような老人には、会ったことがない」と口癖のように言います。僕自身も自分の人生には心から満足しています。

藤平:本日は人生の大先輩である野田先生にお会いし、存分にお話を伺って、私の心の中にも大きな力が涌いてきました。本当にありがとうございます。

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当会では「合気道」の表記について、漢字の「気」を「氣」と書いています。
これは“「氣」とは八方に無限に広がって出るものである”という考えにもとづいています。


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